ヒロキ’s blog

自分の記憶を頼りに雑記

仕事について(工場時代)

プロフにも書いているが、以前はそれなりに大手の会社に勤めていた。その会社に入社した一年目は工場に配属された。製品を機械を使って作る仕事だ。

 

最初の何週間かは座学で工場や会社の色々を学んだ。座学はそれぞれの部署の先輩が行ってくれるのだが、その方達から口々に「工場は厳しいけど頑張れよ。」という声を掛けられた。きっと厳しんだろうなあ、嫌だなあと、怒られるのが極端に苦手な私は入社一週間で完全にビビってしまっていた。

 

いよいよ職場に入って仕事を始める初日になった。最初は先輩(師匠)が機械を操作しているのを着いて学ぶ。そしてその全てを逐一メモを取っていた。すると突然師匠が機械の上に登り始めた。私は登っていいものか分からず10秒ほどオロオロしていた。すると、後ろからいきなり怒鳴り声が聞こえてきた。「先輩について回れと言っただろうが、遊びに来てんのかボケ」みたいな感じで違う先輩から注意された。その場でハイスミマセンと返しつつ初日からこれかーと先が思いやられた。注意するのはいいが怒鳴るのはマジでやめてくれ、と思った。幼少からなるべくいい子をやっていた私は怒られ慣れてないが為、怒鳴られるとその全てを受け止めてクヨクヨずーっと考えてしまう所があり、気が滅入ってしまう。涙目になりながらも一日目は必死にメモを取り定時まで頑張った。次の日は比較的簡単な作業をやらされたが、師匠から「〇〇しなきゃと昨日言っただろうが」と教えられた覚えのないことで怒られた。ビビりまくりの私は何も言い返せず言葉を飲み込んでしまい、そのまま作業を続けた。そんな感じで日々怒鳴られることが続いていった。すべてにびくびくしていた私は休憩中も心が休まらず、仕事中は常に緊張しっぱなしだった。

 

家に帰ってからもまた怒られたくない一心でメモをノートにまとめた。メモすることが多すぎて毎日午前1時くらいまで掛かった。朝は6時に起きて、早めに出勤し作業予定の段取りをする。

 

そんな感じで続けていった結果、ものの3か月で自分の気持ちに限界が来ているのがわかった。とにかく仕事に行きたくない。毎日、家の中に誰かが入ってきて襲われる悪夢を見る、平常時に心拍数が上がる、休日も仕事のことしか考えられない。

 

これはダメだと思い、もう無理だということを職長に直訴した。お願いだから怒鳴らないでくれと。職長も師匠やその他先輩に言ってくれた様だが、やさしくしてくれたのは一週間くらいでまた元に戻った。

まあみんなそうやって教えられてきたのだからその伝統がつづいているのも分かる。自分のミスが多かったのも分かる。分かるが、もう少し配慮してほしかった。昔は暴力もあったが今は無い分だけありがたい、みたいなことも言われた。しかし当時の自分は注意の言い方だけでも傷つく豆腐メンタルで、そういう人間も居ることをわかってほしかった。

 

死ぬ思いをしながら半年たったころには師匠の補助なしで、なんとか自分で機械を回せるようにはなった。少しづつ怒鳴られることも少なくなり、なんとか一年を乗り越えた感じだった。さすがにやっていけないと思ったので(やっていけないと思われたのか)、次の年からはほかの部署に回された。

 

まだまだ色々書けることはあるが、これくらいにしておこう。

今あの場から離れてみて思うことを書く。

仕事に厳しくしてくれる人がいることは大事だと思う。その人が居るだけで職場の雰囲気が引き締まり、確かに職場全体の製品不良も減るのだ。そして新人の仕事を覚えるスピードが速くなる。怒られたくないからだ。師匠や厳しくしてくれた先輩は憎まれ役にはなってしまったが、会社全体でみると利益を生み出している。必要な存在だと思うし、今となっては仕事に対する姿勢を植え付けてくれたことに感謝している。メンタルの方は今も若干当時を引きずっている所はあるが。。。

 

さて今の職場ではどうだろうか。怒られることは無い。無いが、のほほんと育てられた(もしくは注意する先輩がいなかったのだろうか。)仕事もマネジメントもろくにできない人が上に立っている。苦労するのは下の人間だ。

 

どちらが幸せなんだろうか。

 

今日はこの辺で。

また次の機会に。

アニメについて(まどマギ)

今回は好きなアニメについて書こうと思う。

前回のガンダムの記事で「水星の魔女」を紹介したが、今日は「まどマギ」について書こう。

※ネタバレ注意

 

魔法少女まどか☆マギカは2011年に放送されたアニメだ。今調べて10年以上前と聴いて少々驚いた。そんなに経ったのか。

当時大学生だった私は、その年はほぼ単位を取り終えた事もあり片っ端から見たかったアニメ、興味のあるアニメを見漁っていた。

 

当時大盛況だった「ニコニコ動画」でもアニメ配信がなされていたが、その中と一つにまどマギがあった。一話、二話を見た時はちょっと危な目のほのぼの魔法少女ものだな、という感じだった。そしてやはり語るべきは伝説の三話だろう。「まどマギは三話まで見ろ。」当時はよく聴いた言葉である。

 

その三話にて主要人物がいとも簡単に死んだ。しっかりと首のない描写がなされて。そしてあのおぞましいEDが流れたのである。鳥肌がたった。ほのぼの魔法少女ものだとしっかりと騙されていた私は、その落差に身震いし同時にえもいわれぬ感覚を得た。そして思う事は一つだ。「これからどうなるんだろう。」

 

それからは全話視聴まで毎週の放送が楽しみで仕方なかった。友達ともその話題でもちきりだった。リアルタイム放送で先の分からない状態、そしてそれを分かち合う友人、リアルタイムの醍醐味だと思う。

 

映画も観に行った。テレビ版を再編集した前編と後編、そして新版の叛逆の物語3つとも、当時の友達とワイワイしながら観に行った。新版も予想を裏切らず、ちゃんと面白かった。本編を取り戻すかのようなマミさんの戦闘シーン、さやかとお菓子の魔女の救済、ほむらの魔女化、キュゥべえは空気と化している、などなど必見のシーンは盛りだくさんだ。

 

控えめに言って、まどマギは最高だ。

 

 

そしてそれを語り合う友人がもっと欲しいところである。

 

今回はこの辺で。

ではまたの機会に

ゲームについて(ポケモン)

私の趣味の一つ、ゲームについて今日は書こうと思う。

 

色々記事を書きたいゲームはたくさんあるが、一先ずこの記事はポケモンから書いていこう。

 

早速ゲームからは脱線するが

つい先日アニメポケモンでサトシがワールドチャンピョンシップ悲願の優勝を果たした。アニポケ初期からサトシを見てきた私としては、何十年もリーグ優勝できなかったむず痒さもあったが、今回でアニメポケモンにやっと一区切りが付いて安心した所である。アニメポケモンの思い出についても別記事でまとめたい。

 

さてゲームに話を戻す。

今では一言にゲームと言っても色々な意味を持つが、私がやるのはもっぱら据置ゲームや携帯ゲーム機である。

 

幼少から身近にスーパーファミコンゲームボーイに触れていた影響で、今の年齢になってもゲーム機からは卒業出来ずに居る。

 

小中学生の間は学校から帰るとスイミングに行くまではずっとテレビゲームかゲームボーイをやっていた。ゲームを早くやりたいがために走って帰ったものだ。

小学校2、3年の時だろうか。友達がポケモン緑をやっているのを見たのがゲームとしてのポケモンとの出会いだ。とんでもなく欲しくなって親にねだりゲームボーイポケットと一緒に買ってもらったのを覚えている。そこからは狂ったように朝も夜もやったものだ。友達と通信対戦もやったし、レベル100にする裏技だとかそういう噂が学校のあちらこちらで聞こえてくるほど流行っていた。アニメもやってたし、ピカチュウ版とかもでてすごい盛り上がり様だった。

 

そして2年くらいたって今度はポケモン金銀が発売され、これはお年玉で新品を買ったのを覚えている。当時新品のソフトを買うのなんて始めてだったので、パッケージの中に入っていたピンピンの説明書に興奮して擦り切れるほど熟読した。プレイ時間も計150時間くらいはやっていたと思う。なんかレポート(セーブ)の途中で電源を切るとポケモンが増殖する裏技とかそういうのも流行ったっけな。

 

そしてその2年後くらいに今度はゲームボーイアドバンスでルビーサファイアが発売、そのまた数年後にダイパー、ブラックホワイト、XY、サンムーンと続いていくのだがそこは熱が冷めてしまっており、追えなくなってしまっていた。周りの友達にやってるやつはいたが、なんか努力値とか個体値とか厳選が時間がかかるとかでめんどくさそうだな、というのが側からみていた印象だ。

 

そして社会人になって久々にポケモンに手出すか、と思って買ったのがソードシールドだ。実に10数年ぶりのポケモンにワクワクしながら進めていた。そして初めて出会うポケモン達に、オマエラは見た目で何タイプか全くわからん、とか、あくとはがねはわかるけどフェアリーってなんだよ?何が効くの?とかアタフタしながらも楽しくやることができた。ワンパチが可愛いかったな。しかしそれも長続きせず、一度リーグ優勝したら飽きてしまったのが正直な所だが。

 

 

最近はゲームをしていても何か別の事に気が散って子供の時の様な集中力が生み出せていない気がする。いや、やれば楽しいのだろうけど、そこに行き着くまでのカロリーとか、それを達成して現実の自分のレベルアップになんの?とかそういう考えがチラついてしまっていまいち没頭できずにいる。

なんだろう。時間の無駄といえばそうなんだが、趣味全般そんなモンだろと言われればそう思うし、自分が楽しめれば良いんだろ?とかいうのもあるし、いや今は自分のスキルを高める時間を多く割くべきだろとか、そういう様々な思いが錯綜して結局何がやりたいのか何をやるべきなのかはっきりできていない所があるのだ。

 

そういう意味では趣味って難しいなと思う。

趣味に全力を注げる人がうらやましい今日この頃である。

 

ブログ始めて3投稿目だがいまいちまとまりがない。テーマに沿れてないな。

 

次はもっと上手く書きたいものである。

ではまたの機会に

ガンダム

私は子供のころからガンダムが好きだ。

 

正確には小5の時に兄が買ってきたPS1のソフトの第4次スーパーロボット大戦Sをプレイし、そこで初めてスーパーロボット、リアルロボットという概念に触れ、そのうちの何体かいるガンダムのカッコよさに惹かれた。

 

当時はよくわからないなりに、どうやらガンダムには色々な種類がいるらしいということと、それぞれ違うパイロットが乗っているんだな、ということは理解した。またコウ・ウラキが乗っているGP-01FBっていう機体はゲーム内での性能がかなり低く、またコウ自体もよわよわでくそ雑魚なガンダムなんだな、という印象が残った。(実際はそんなことは無く、出演作品であるアニメ0083スターダストメモリーを大学生の時に見たが、コウもガンダムもつよつよである。)

 

さて小学生までのガンダムの認識としてその程度のものだったが、中学生になり他校から来たガンダムにやたらと詳しい友人が何人かできた。

その友人から手始めにVHSで渡された作品が「0080ポケットの中の戦争」である。ジオン軍の新米兵士バーナード・ワイズマンと、とある宇宙コロニーに住んでいる戦争にあこがれているアルフレッド少年との出会いの物語だ。中学生になったばかりの自分が見たときは全編通してよくわからん、という印象だった。まだ連邦軍ジオン軍の戦争の背景やら、宇宙になぜ人が住んでいるのか、とか細かい時代設定がわかっていなかったこともあるだろう。

 

だがこれも大学生になっていろいろなガンダムアニメ作品を見あさり、作品の時代背景がわかってくると、なんて素晴らしい作品だったんだと手のひらを返したものだ。現在もクリスマスが近くなると0080が無性に見たくなる。

 

同じ作品でも子供の時に見たものと大人になって見たものでは全く印象が変わるものである。SEEDなんかはリアルタイムで見ていた時はかなりはまっていたが、大人になってから見るとう~んという感じで逆に盛り下がったパターンもある。

またダブルオーはリアルタイムで見ても面白かったし何回見返しても面白かった。

何にそんなに惹かれるんだろうか、と考えたときに自分はロボットや兵器のカッコよさ、戦闘のカッコよさというよりも、ちゃんとした時代背景とか人間関係とかそういうドラマが好きなんだろうな、と感じた。

 

ここからが本題であるが、現在「水星の魔女」が放送中である。今までにない女性主人公で学園もの?!という謳い文句で始まった今作であるが、どうせまたお約束で後半は戦争はじめんだろ、とか、学園ものっつったってガンダムW一話でヒイロがリリーナからの誕生日パーティの招待状をびりびりに破ったあげく、それを見て涙したリリーナの涙をやさしくぬぐってあげたあとに「お前を殺す。」デデン!とかそういうのは望んでないぞとか思いながら見始めた。

見た結果、くそおもろいやんけ。

 

本作は本当によくできていると思う。人間関係のドラマあり、最初から最強のガンダムあり、GAND-ARMの設定等の背景もかなり作りこまれていることが伺える。何より一話一話謎が解けていくので、本当に見逃せない。女性主人公で百合あり三角関係ありイケメンありみたいな展開で、GUND-ARMの反動や強化人間や子供たちの戦いみたいな今までのガンダム作品のおもろいところを全部詰め込みました、みたいな作品である。欲張りセットだ。おもろくない訳がない。

 

こうして年甲斐もなくガンダムアニメにはまる中年の出来上がりだ。

でも私はこれで良いと思っている。だって面白いんだから。

というわけで今日の結論としては

皆さん水星の魔女面白いので見てください。

 

ではまた次の機会に

人生変わった瞬間

今週のお題「人生変わった瞬間」

 

ブログ初投稿で何を書こうか小1時間悩んだけど、結局今週のお題という便利なものにすがって書いていきます。

 

人生が変わった瞬間か。30何年生きてるけど本当に何回もあったと思う。

 

過去から遡ってみよう。

保育園、小学校、中学校の時はこまごまとした小さな決断はあったけど人生が変わったかと言われれば微妙なところだ。

 

…今になって思えば中学の勉強は中3になった時についていけなくなって、勉強も大して頑張らずに、高校はそれほど偏差値の高くない微妙な進学校に行った。そこが初めの分岐点だろうか。

高校が違えばもちろん入る大学も違っただろうし、入る会社も違ってただろう。そこにはそこで違う出会いがあり付き合いがあっただろう。

 

そんなことはさておき高校時代では、幼少から半ば無理矢理させられていた水泳を、高校でもこれまた無理矢理させられていた記憶がある。いや、あの時父親に声を大にして嫌だと反抗していればやらずに済んだのかもしれない。しかし当時はそんな事を言い出す勇気が無かった。嫌々やっている事もコーチに見抜かれていた。結局高3の県大会でもロクな結果も残せず、完全に水泳が大嫌いになっていた。

大学では絶対やらんぞと心に決め、地元を離れ、大学に進学した。

 

大学に入って4月はじめに新歓祭り(新入生サークル勧誘イベント)があり、高校からの友人と一緒に色々なサークルを見て回った。その日は水泳部にはなるべく近づかないようにしていた。しかしあろうことか、水泳部のブースの前を通りかかったとき、友人が私が水泳をやっていた事を、勧誘していた人にバラしたのである。あちらからすれば多くの新入生の中の数少ない経験者だから何とかして獲得したいと思うのが当然である。メールアドレスだけ教えてよ(当時はキャリアメールが主流)、と勧誘の人から非常にしつこく付き纏われたので仕方なく教えた。ここがかなり大きな分岐点だったと思う。

 

大学の授業も始まり、しょっぱなからシュレディンガー方程式とか教えてくる教授に悪戦苦闘しながら4月を過ごしていた。そして水泳部からの勧誘のメールも毎日、毎日、何通も届いた。あまりにしつこく勧誘され、「一回だけ練習来ない?」と言われるので一回だけですよ、と返事して行ってみた。初対面の人にあうのは緊張するのであまり喋れなかったが、みんな楽しそうに練習してたし、練習メニューもそんなにキツくなさそうだし、何より練習後にみんなでご飯食べに行ってわいわいしたのが凄く楽しかった。中学、高校とスイミングスクール生だったので「部活」を経験していなかった自分にとって、初めての「部活」という場所を体験し、こんなに楽しいものだったのか、と思った。ここに入ってもう一度だけ水泳やるのも良いかな、と思って入部した。

 

入部してからは色々あったが、本当に楽しく、充実した4年間だったと思う。この4年が少しだけ自分の人生に厚みを加えてくれた。何よりも大切な仲間ができた。尊敬できる先輩、かわいい後輩もたくさんできた。そして最も重要なのが、将来のパートナーもそこで見つかったということ。もしあの新歓祭りの時に、もう水泳はやらないという誓い通りにメールアドレスを教えていなかったら、全く違う人生を歩んでいたかもしれない。あの選択は間違ってなかったと今は思える。そして当時しつこく勧誘してくださった先輩には本当に頭が上がらない。とても感謝している。

 

なんかいろいろ書いて疲れてしまった。ほぼ水泳に関してのことになってしまった。

「人生変わった瞬間」なんて本当にいくらでもあるのだが今日はこの辺にしておこうと思う。

この文章を読んでくれる人がいるかはわからないが、伝えたいことは、人生の分岐点なんてどこにでも転がってるから思い切って新しい領域に踏み込んでみよう、てことかな。

てか読み返すと少しキモイな。

 

ではまた次の機会に